演出家竹内敏晴氏による「からだとことばのレッスン」を受講しました。

2009.5.16 PM13:00-PM18:00
2009.5.17 AM10:00-PM16:00
@赤塚公民館

去る5月16日・17日の二日間、私たちは竹内敏晴氏のワークショップ、
通称「竹内レッスン」を受けさせていただく機会を得ました。

c0167632_15553857.jpg

竹内さんを囲んで集合写真
   

竹内敏晴氏は「からだ」と「ことば」の関係性について深い興味と見識を持っているお方であり、全国各地で数多くのワークショップや著作活動を行ってきたいわばその道のエキスパートです。

普段は一回にレッスンを受けることができる人数が20~30人が限度であるということですが、今回は特別に私たちインストラクター(約50人)のレッスン受講を認めてくださいました。

そして2日間合わせて合計約12時間にも及ぶレッスンの中で私たちは竹内さんのその偉大すぎる人柄といわば「異」の存在ともいえる考え方に圧倒されっぱなしでした。


「大学は何をするための場所だと考えていますか?」
そんな問いかけから竹内さんのレッスンは始まりました。
c0167632_161038.jpg

ゆっくりと語り始める竹内さん


「社会に出るための準備をするところ」、「あらゆる分野の見識を知識を得ることで深めるところ」等々の回答が私達の側から飛び出しましたが、竹内さんの考える回答はこのようなものでした。

「大学とは、はてなを見つける場所である。」

私たちは一日の中で何回はてなを見つけているでしょうか。
知らず知らずのうちに常識として飲み込んできたことの中に隠れている、
実は「おかしなこと」をも鵜呑みにしていないでしょうか。

そしてそのことによって私たちは、私たちの中に存在している「表現の可能性」を縮める
檻の中に閉じ込められているかもしれないと意識したことはあるでしょうか。

例えば、体育座り(または三角座り)。

小学校~高校と事ある毎に強制されてきたこの座り方ですが、
「なぜこの座り方を生徒にさせるのか」と教師に聞いても答えられる教師は
今まで一人もいなかったということです。

そして竹内さんはこの座り方を強く否定します。

曰く、「この座り方はおなかを圧迫し、大きな声も出せなければ、
自分で自分の四肢を縛っているためにそこから動くこともできない。
これは人間の表現力を最小限に押さえ込む最低の座り方だ。
日本教育の底にこのようなことが当たり前のように横たわっていることに危機を感じる。」

これ以降のレッスン中、私たちの中に体育座りをする人は一人もいなくなりました。

その後、私たちは「声の出し方」について指導を受けました。

私たちが発している「ことば」は本当に「ことば」に成りえているのか。

単に「声」を垂れ流しているだけになっていないか。
そのようなことの確認でした。それはその後のステップ「歌う」ことに直結していました。

私たちが歌ったのは「大きなくりの木の下で」と「赤とんぼ」、「夕焼け」という小さな子供のときに習うこの3曲でした。


c0167632_1663014.jpg

                     ペアになってうたっている様子


このレッスンのなかで「歌う」とは単に「詩を声にだす」ということとはまったく意味合いが異なります。

つまり、「大きなくり」の下で遊ぶのなら、大きな栗がそこにあるとイメージし、それをメロディーに乗せていなければそれは「歌う」ことにはならない。

「仲良く遊びましょう」と歌うのならば実際に相手を見つけて楽しく一緒に遊ぶべきだ。ということになります。

c0167632_1695029.jpg

   いまやインストラクター’Sブームとなった「お手手!」相手を探します。


また、そのように歌を「歌う」と考えたとき、私たちは歌詞の意味を理解せねばならず、それは「はてな」につながります。たとえば「夕焼けこやけのあかとんぼ」という歌詞。

「とんぼ」が赤であるのか「夕焼け」が赤であるのか。
その理解の違いによってこの歌はまったく違ったものになりえます。

そしてレッスンはストレッチへと進みます。

正確に言えば、ストレッチというよりも「自分の身体はどのような状態にあるのか」という確認作業の意味合いが強いでしょう。具体的には二人一組ペアとなり、お互いの体を「揺らす」というものです。

c0167632_16133812.jpg

          揺らされている様子①




身体が「揺らされる」という体験は私たちの日常生活において非常に稀有なことであるといえるでしょう。

なぜならば、私たちは普段、「足に地をつけた」生活をしており、また身体は頭から下される情報によって常にコントロールされている状態にあるからです。この身体を「揺らす」という作業は脳からの伝えられる指令から完全に身体を解放することができなければ成り立ちません。つまり、自分の身体をそのまま身体が接している地面へとあずけることができて初めて成り立つ作業であるといえます。



c0167632_16172827.jpg

           揺らされている様子②


私たちはまずはこの「身体を解放する」ということに苦戦しました。
私たちの身体は常に自由なものではなく脳の指令、または外的な力に従おうとする意思によって抑制が働いているということをここで理解することができました。


レッスンの最後は「呼びかけ」を行うというものでした。
方法は一人「呼びかけ」を行う人を決め、その人に対面する6人ないしは8人程度がその「呼びかけ」を聴くというものです。「呼びかけ」を行う人は対面する人たちの中から誰に呼びかけを行うか一人決め、また対面する人たちは目をつぶった状態で誰に呼びかけがなされているかを予測しなくてはいけません。



呼びかけの言葉には指定はありませんが、「一緒に帰ろう」など対象がしっかりしつつもストレートに意思が伝わるものがより良いということでした。
c0167632_16185428.jpg

     呼びかけの様子①


c0167632_162381.jpg

     呼びかけの様子②

この「呼びかけ」のレッスンの中には今まで竹内さんのもとで行ってきたほとんどすべての事を組み合わせた要素が入ってきます。すなわち、「ことば」を相手に届けること、「からだ」を効率的に利用してその「ことば」の伝達を助けることができなくては「呼びかけ」は成功しません。

これはこれから私たちが行うワークショップに直接関係してくるであろうひとつの命題でもあります。

「自分が話しかけられている」ということを対象者の側が感じ取ることができなければそれは単なる発表者の独り言になってしまうでしょう。竹内さんは「対象者が不特定多数であっても、誰か一人にことばを届けるつもりでやらなくてはいけない」という主旨の考えをお持ちになられていました。

対象者を一人に絞ることで不特定多数の対象者が「自分が話しかけられている」という錯覚を起こすことも可能であるということです。
その意味でこの「呼びかけ」レッスンはいかに自身の「ことば」と「からだ」を効果的に使い、対象に伝えるかという情報・意思伝達の根本的なことを体現していたといえるでしょう。

この2日間で竹内さんから学んだことはまだまだ書ききれないほど大きく、奥が深いものでした。
レッスンの中には現在の私たちの理解の範疇をたやすく超えるようなものも含まれていたと思いますが、それは私たちがこれからワークショップを行なったり、たくさんの人たちとかかわりながら生きていくことでふとこの体験に立ち返って思い起こされることでしょう。

竹内さん、貴重で有意義な体験をさせていただきありがとうございました。


BY インストラクター やまだ
[PR]

by iuip-nuis | 2009-05-16 13:00 | インストラクターニュース

『マッピー』用ボーダー

<< 三条市立第二中学校の2年生がワ... 第3回 羽賀友信氏による「異文... >>

ブログトップ